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学長 宮後 浩とは?

学長 宮後 浩とは

「瑞宝単光章」を受章しました。公共的な職務の複雑度、困難度、責任の程度などを評価し、職務をはたし成績をあげた人に対して授与される、瑞宝単光章を受章。

篆刻/自身の作品に押印するために趣味で始めた篆刻。今では卒業式の日に必ず、生徒ひとり一人に篆刻を作り、記念として渡している。

○○○○が語る、「宮後浩とは」

  • 60才にして博士号取得。真面目で緻密な人です.

    元宝塚大学大学院教授 工学博士 加藤 力さん

    宮後氏とは、同い年でありながら、宮後氏が、パースで博士号を取得する際、私が宝塚造形大学大学院の指導教授、宮後氏が大学院生という奇妙な関係でより親しくなりました。一見大ざっぱなように見えて、意外と緻密で、しかも真面目。博士論文を規定の3年間で無事まとめあげ、内容も立派なものでした。
  • その生き様に、いつも尊敬をしています。

    都市計画家 ガーデンデザイナー
    COM計画研究所代表 立命館大学客員教授
    高田 昇さん

    宮後さんとのつきあいは40年前、同じ建築事務所の同期生としてスタート。歩む道は異なりましたが、何故か仕事仲間、友人として信頼を深めていきました。プロとしてスゴイのは植栽の描写。草木が美しく生きていて、おかげでマンション企画、公園計画など多くのコンペをとれました。「パースの大家」であるのにそんな素振りも見せず、変わらぬ明るさ、軽妙さ、そして情熱を持っていつも癒しと元気をいっぱいもらっています。人生の達人なのでしょう。
  • 宮後さんとの出会いは、デザインとの出会い。

    八十島プロシード株式会社 会長 八十島 真 さん

    半導体装置等をつくる「カタイ製造業」を営み、デザインとは無縁の世界で生きていた私にとって、宮後さんとの出会いは、同時にデザインとの出会い。ロータリークラブを通じて出会って30年。
    以来、当社のオフィスや工場のデザインなどをお願いしています。
    以前、当社の取引先の方が来社された時のこと。「この会社のデザインを見れば、安心してお願いができる」という言葉を頂いたことがあります。宮後さんは、本質を見抜きデザインに表現できる人。そのデザインには好奇心旺盛な性格と人を思いやる気持ちが宿っています。

学長 宮後浩の歴史 1946年〜

0歳(1946年)

絵を描くのが
得意なやんちゃな子
天王寺で父は建築事務所を、母はアメ村で旅館を経営。その三男として誕生。末っ子であった為幼少期は母の後を追いかけ、こぼんちゃんとしてわがまま放題に育つ。勉強はさほど好きではなく、字を読むと眠くなった。好きなものは漫画。絵を描くのも得意な少年だった。

18歳(1964年)

多摩美術大学へ進学、
これからの将来について
考え始める
絵が上手い!と周囲から褒められ続けて育ち、多摩美術大学へ進学。意気揚々と上京するも、日本中から集まった画家の卵達に囲まれ、絵が上手い人は世の中に沢山いることを知る。ここから、絵で食べていくにはどうしたらいいのかを考えるようになる。

26歳(1972年)

コラムデザインセンター設立

大学卒業後、長兄の経営する宮後建築事務所に入社。建築の世界で絵で身を立てることを思い立ち、オリジナルのパースの描き方を開発し、4年で独立、パース事務所、コラムデザインセンターを設立。当時19時でビルの空調が切れていたので、夏は汗をダラダラと流し、タオルを鉢巻きにして日々パース作品の制作にあたる。

27歳(1973年)

取引先からの依頼で
パースを講座を開講する

人から頼られると断れない性分から、取引先から描き方を教えてほしいという要望に応え、独立した翌年、27才の時からパース講座を開講。生徒達がどんどん紹介してくれて新たに仕事を持ってきてくれるようになる。更に、一緒にパースを描いてくれる人を育てようと一般の人向けに、コラムデザインスクールの前身、パースアカデミーをスタートさせる。当時、パースという言葉が浸透しておらず、パース=お財布と勘違いされることも。

※上の2つとも宮後浩が初めて描いたパース。スクール説明会では毎回、このパースを生徒さんに見せ、「私も初めはこの状態でした。しかし、描き方を学ぶことでうまく描けるようになったんです。」と話しています。

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